雑感

2005年12月に盗まれた、イギリスにある
ムーア記念財団の庭に置かれていた近代彫刻家
ヘンリー・ムーア(1898−1986年)の
ブロンズ製「横たわる像」(推定価値300万
ポンド=約4億3000万円)が溶かされて、
わずか1500ポンド(現在の換算で約22万円)
で売却されたことがわかったそうな。

2トン近い作品を盗むほうもいい根性してるが、
そこまでするかと思ってしまう。なぜなら作品
としてではなく素材であるブロンズを金属として
売り飛ばしてしまったからだ。

絵画泥棒はその絵の価値に目をつけて盗むわけで
画布や額を薪代わりに盗む訳ではない。盗まれて
喜ばしいことなど何もないが作家としては作品を
モノとして盗まれたとしたらそれは最も悲しいことだ。


少し違う話だけど 崔石鎬(チェソクホ)という
韓国人彫刻家の作品が、大阪市内の土地の競売に
絡んで大阪地裁に廃棄されていたことがあった。
崔石鎬は日本で活動している作家で、95年には
大阪トリエンナーレの彫刻部門で銅賞を受賞するなど
優れた作品を作る新鋭の作家である。

作品は当時分解した状態でその競売にかけられた
土地にシートを被せて置いていたらしい。
地裁は土地占有物として処分する前に、執行通知を
土地所有者に郵送したらしいが、所有者が通知に気づかず
気づいた時には廃棄処分されていた。

作品は「歴史の門」というタイトルでその名のとおり、
いくつかの分厚い木材で構成された門のような形をしている。
もちろん処分される際には分解して置いてあったわけで、
それが作品に見えないのは、誰の目にもそうであろう。
いくつかの分厚い木材は作品ではなく、木材として処分された。
 

この場合、作品を作品として処分されたわけではない。
だから仕方がないといえば仕方がない。
処分した業者も処分を命じた地裁もそこに作品が置いてある
とは知らずにそうなったのだから、報道されて体裁が悪かった
というぐらいだろう。

ムーアの作品は記念財団の庭にあったんだから確信犯だろう。
しかし盗んだ輩は、はたして作品として売り飛ばすために
盗んだんだろうか。はなから作品ではなく金属の塊として
盗んだような気がしてならない。売るには実際の大きさと
金額として手頃なサイズとは思えないからだ。


両方とも見逃してしまいそうな小さな記事だった。
腹立たしいか、と聞かれればそこまででもない。
まぁ少し虚しいような悲しいような、というところ。

つまり何が言いたいかと言うと社会にとっては
美術や美術作品というのはその程度の存在なんだという
事実を突きつけられているように思わずにおれないのです。

作り手として芸術自体を信じてないひとは
芸術に携わるべきではないような気がするけど
芸術を取り巻く環境や人まで同じように信じてるひとは
きっと失望するんだろうなぁ、と。

そういう事実というか現実を踏まえてそれでもやる
て思えないとしんどいような気がします。