お通夜に行く

昨日、仕事を終えてから知り合いのお父上の
お通夜へ行ってきた。高齢にくわえて昨年から
入院しておられたので、突然の訃報というわけ
ではなかった。


住宅街の中にある、比較的新しい葬祭式場に
到着し、会場に入ったのだが知り合いは居らず
ひっそりと人気がなく受付も無人
ようやく案内係らしき人を見つけ受付で記帳を
済ませてお参りすることに。

案内係に導かれるまま小部屋に通されると、そこは
小さな入口に下足箱があり、四畳半ほどの和室には
座卓にポットと茶菓子があり、待合室を思わせる
雰囲気。

しかし、和室の床の間の場所には棺が安置されていて
その前には遺影があるので待合室ではなかったのです。


葬祭式場のロビーや部屋の配置、大きさから、また
今まで参列したお通夜の会場のイメージをことごとく
裏切る感じの祭壇であったため、一緒に行った人と
顔を見合わせ、なんとなく戸惑いました。

焼香でなくお線香で、仏壇にあるお鈴が置いてあり
一緒に行った同僚が何度も僕を振り返り、困惑した
表情を浮かべていました。

喪主の方も案内係も部屋に同席せず、待合室メインの
趣の和室に簡素な祭壇と覆いのない化粧棺が安置されて
いて、部屋には僕と同僚のふたりだけ。

そっと棺の小窓を開けようとする僕を同僚が声を出さずに
表情でたしなめ、そそくさと式場を後にすることにしました。

帰りの車中、同僚と葬儀にまつわる、よもやま話となり
どこで聞いたか失念したけれど、思い出した話をひとつ。


とある男性が自宅の団地で家族に看取られて亡くなった。
葬儀屋が棺を持ち込んで、棺に遺体を納めて自宅から
斎場へ運ぶことになりました。

男性の自宅は団地の5階。エレベーターは当然なくて
階段で下ろさなくてはなりません。

棺の重さや大きさは古い団地の階段の踊り場では
かなり難があり、かといって傾けたり立てたり
することも出来ず、まして生身でおぶって下ろす
なんて訳にもいかず。

踊り場の手すりにいったん棺の片方をあずけて
そろりそろりと回転させようとしたとき、ふっと支点が
スライドし、棺の半分以上が外側に。ふわっと傾いた
次の瞬間には、残り4階を下ろす手間なく、棺は
自然落下で1階へ運ばれたそうな。

言うまでもなく桐の棺は文字通り木っ端微塵となり
死装束の男性が棺を突き破ってもの凄い勢いで横転しながら
道に飛び出したという。


同僚は眉を寄せて聞いていたが、僕は膝を打って
話に興じていた。不謹慎なのは百も承知なのだが
如何せん、僕は不謹慎なお話が大好きなのだ。

僕は死者を悼む気持ちはあるけれど死者を忌む気持ちは
あまりない。窓を開けて顔を拝もうとしたり
通夜の帰途にそんな話をするのもそんな理由からだ。
慣習的信心深さを持った人やブラックジョークを
理解出来ない人には勘違いされやすいので
こういう話は誰にでも話しませんが。


今日のお通夜のあの棺、あんな小さな入口からどうやって
部屋に入れたの?と同僚。

葬祭式場ですからね、きっと床の間の壁がどんでん返しの
回転扉で裏に搬入路があるんだよ、と僕。


そんなアホな、と笑う同僚。しかしこの手のお話には
そういう嘘のような本当のお話があったりする。


こんなのとか。


やっぱりあるんですね。

「ドリル棺桶」はアメリカで真面目に開発されたようです。
こういう話に食いつく僕はやっぱり不謹慎ですかね?
でもこういうお話は嫌いじゃないのです。