エコ・ファッショ

新聞の書評を斜め読みしていて気になったことがあった。
環境問題の本で、割り箸が森林破壊をもたらすのかどうか
検証するというような内容らしい。実際割り箸が木材需要に
占める割合というのは非常に微々たるもので、昨今の割り箸
使用の見直しやマイ箸運動まで過剰になると、もはや都市伝説に
近い感じさえする、と評者は書いていた。

性質として割り箸は森林破壊をもたらすけど、量として
問題はなく、質と量をごっちゃにして話をしては
いけないということだ。確かにそれは非科学的だ。

僕は前々からエコブームみたいなものに胡散臭さを
とても感じている。僕が感じる胡散臭さの原因は
科学的根拠に基づかないものを元に
環境について真剣に考えているフリをした
お金儲けの好きな誰かが、みんなを扇動してるような
気がしてならないからだ。

別に環境問題に特別関心があって詳しいという
訳ではないから偉そうなことはあまり言えないけど
時々見え隠れするそういう人種がとても気になる。

例えばリサイクル運動とか、確かにモノを大事に
使って使い捨てしないという理念はよく分かるんだけど
実際、本当にリサイクルすることで環境にとって
どれだけ効果をあげているのか、そういう疑問を
書いてある本を、これまた斜め読みしたことがある。

分離工学という聞きなれない分野の専門家の著者曰く
「金属など以外の紙・ペットボトルの回収再生は
かえって石油など天然資源の利用を増幅する結果となり
最終的に地球環境に悪影響を及ぼしかねない」ということらしい。
この本に関しては精査して読むべき部分が多いらしいが
それでもやはり闇雲に信じていたものに気づいたりする。
一本のペットボトルを燃やしきってしまって出る悪影響と
回収再生することで起こる悪影響の比が大差がないようなら
それはかなり意外な感じがするのは僕だけではないと思う。

こんな話は意外と多いのかもしれない。
温暖化による海面上昇の話だってコップのなかの氷を
考えれば、本当にどれだけ上昇するのか疑問だし
CO2削減のためのバイオエネルギーだって
原料の農作物の生産や運搬でどれだけ石油を
使うことになるのか計算してみたらどうなるのか、とか。

ぼくはそもそも文明的に生活する人間というのは
その存在自体が自然環境にとっては害毒であって
自然と共存なんて言葉は結構あつかましいセリフだと
思っている。だから人類は絶滅すればいいとまで
ネガティブなことは思わないけど、自然環境を
汚しながらでしか、生きていけないという原罪を
背負っているんだ、くらいの意識はないと
ダメなんじゃないかなぁと思っている。

エコカー乗ったり、割り箸使わないくらいで
環境に配慮してます、みたいな顔して生活してるひとを
見ると、無邪気だなぁと感じる。