人の生き死に

職場の近くに住むおばあさんが亡くなった。
よく家の前を通るので挨拶したり、
花に水をやるおじいさんと話したり
ちょくちょくワインを頂いたりするような間柄だった。
人の生き死にというのは本当に突然だったりする。

小学生の頃、田舎が山口県の同級生が居た。
その友達のおじいさんが亡くなり、友達は葬儀に参列
するために帰郷した。山口から帰ってきた友達はみんなを前に
山口での変わった習慣を教えてくれた。

「むこうではなぁ、火葬場で焼いてるところを親族が
小窓から覗くんや。最初はなぁ、お棺が焼けてるだけなんやけど
しばらくしたらじいちゃんがお棺突き破ってばぁ〜んって
起き上がってきたんや。皮が収縮するからって、おとんが言うてた。
スルメが反ってくるのと同じことらしいわ、うん。」

真偽のほどは定かではないが、神妙に話す友達を前に
みんなさらに神妙な顔をしてその話に聞き入っていた。

こういう話は取り方によっては不謹慎に聞こえたりするんで
あまりおおっぴらに他人と話したりはしないけれど、
ぼくは人の生き死ににまつわる話をタブーなことだとは思わない。
 
一度だけお骨を拾わせてもらったことがある。
故人は入院生活が長く高齢だったため、お骨も脆く
腕の骨も点滴の影響でピンク色だった。
そういうことを火葬場の職員さんが淡々と説明していた。

近親者だったので、亡くなったことの悲しさも
あったが、それ以上にとても不思議な気分だった。
人の生き死にというものが、軽々しいものではないけれど
ドラマティックで高尚なものだともあまり思ったことがない。
たとえ日常の延長線上として亡くなったとしても
非日常的な、おごそかな葬儀が執り行われる。
不思議な気分になったのは葬儀や葬儀にまつわる一連の事柄が、
日常だったり非日常だったりする揺れを感じてしまったからだと思う。

来週、おじいさんになんて声かけようかなぁ。