木を彫る

例のゴルフ練習場でのバイトは草刈りから
その他諸々の仕事へ。そのひとつが写真の作業風景。

クラブハウスがログハウス調で、会計カウンターも
一枚ものの天板のなかなか良いカウンターなのだけど
従兄弟がビミョウな色(仏壇っぽい?)に塗装を施してしまい
亡くなった叔父さんにえらく怒られたらしい。
それを元の、木目を活かしたいい感じに戻して欲しいという。

まずはカップワイヤーで塗膜を剥ぐ。それから
電動カンナで天板の面をだしていく。
従兄弟本人が塗装を剥がそうと天板をガリガリ
やすりがけしてしまっていて、凹凸ができてしまったからだ。
最後はペーパーで番手を上げながら磨いていき
オイルフィニッシュで仕上げた。う〜ん、えぇ感じ。

木を、しかも合板ではない無垢の木を扱うのは
ひさびさだ。学生時代は金属や他素材(FRPや石膏)を
よく扱っていたのでそうそう無垢の木は扱わなかったが
先生の作品制作の手伝いなどでそれなりにはひと通りやった
ことはある。木の作業は楽しい。楽しいけどあまり
自分には向いてないような気がしてならない。

理由は素材のカタさとでも言うのだろうか。
ここでいうカタさ(硬さ?固さ?堅さ?難さ?)
というのは僕の主観的なもので
実際のカタさという意味とは少し違う。

僕にとって木(彫)は、制作する時の感覚的なカタさと
実際の作品が持ってしまうカタさに差があるように感じられる。

制作するときの感覚として、加工しやすい
―カタくない―のだけど、その反面、その
カタくなさ故、微妙な失敗や木が本来持つ表情(欠けや節)も
現れやすい。にも関わらずそれが出来上がってしまうと
なんとなくそれっぽく見えてしまう。
こちらがやりたいことが反映されやすいようにも
思えるが、やりたいことが出来てなくても
それなりに見えてしまう、と言えばわかるかな?
味がある、みたいな。石(彫)もそんな感じがする。

それを良しとするかしないかは作家の作風とかもあるので
もっとざっくり作るひとには当てはまらないけど。

僕は自然物(木や石)を素材にするときに
制作時のアクシデントやその他、自分の想定外の効果みたいな
ものが作品に出てきたときに、それを「味がある」みたいな
捉え方をするのが大嫌いだ。けがの功名も
ええんかも知れないけど、僕はそんな作品観るなら
本当の自然を眺めてるほうがいくらかいいように思える。

・・・などというようなことを学生時代に石彫の先生と
話し込んだことがあった。まぁ人それぞれだけどね。